HBSの1年間を終えて1番苦労したことは何ですか、と聞かれることがあります。迷わず答えるのは、言語、つまり英語力です。
僕のバックグラウンドとしては、高校の時に1年間バンクーバーへ留学しています。この時は現地の高校へ通い、現地の人たちと同じ授業をうけました。特別な英語教育を受けていた訳でもなく、当時最初の半年はかなり辛い経験となり、それでも1年間を終えた後は英語力が飛躍的に上がっていたと思います。(留学中つけていた英語の日記の上達を見ると一目瞭然)
ただ、そこから先は日本の受験を経て(個人的に言語教育としてはこの過程はかなり問題があると思っている)、大学中は長期の海外滞在経験はなく卒業後、設計士としてのキャリアを始めました。そのため、高校の頃の1年間の留学は人生を引っくり返すほどのインパクトを持っていたものの、カテゴリー上はいわゆる帰国子女には当てはまらず、英語力の上達にも悔しさが残る形となりました。
この1年間を過ごしてプロとして英語を使っていく上で最も必要だと感じたこと、それはまず聞く力だと思います。どんな会話もまずは相手が言っていることが理解できなければ何も始まりません。ケースのディスカッションはもちろんのこと、普段の会話でもペースの早さだけでなく、聞きなれないスラングやイディオム、話題が織り混ざり、「リスニングできました」で解決できるレベルではなくなります。「あれ、この人たち何話しているんだっけ」という状態が多発する状態から始まった1年間。自分なりに行き着いた(もしくは振り返ってみて正解だと気づいた)考え方を紹介してみたいと思います。
文化を知る。そこには理屈はない。
文化を知ると言うと高尚なことに聞こえるかもしれませんが、要するにまずは話題を知ると言うことです。友人は何を話題にして、どのような言い方でそれを表現するのか。こればかりは理屈で考えられることではなく、とにかく日々、人との関わりを増やして注意を向けるしかありません。この蓄積で大分会話のコミュニケーションの密度が変わる気がしています。
入学した当時は何やら知らない話題の海の中にいたように感じていた(人間不思議なもので、1年前の記憶があまり鮮明にない)ものの、今は友人同士で話していても全く分からない話題でない限り会話の中でロストすることはほとんどなくなりました。(ただクラスのディスカッションの中でも毎回聞き取りにくいor理解しにくい人は数名いる・・・)
今でも特定の訛りはかなり理解に苦しんだりしますが、それでもまずは「リスニングする」と言う意識よりかは「相手が何を喋っているかを知る」と言う意識の方が圧倒的に重要と感じます。そのためには文化を知る、人を知る、表現を知る、のが優先かなと。
書く文章をシビアに捉える。Writingのレベルを喋りで超えることはできない。
これはリクルーティングを通して自分の肝に銘じようと感じたことですが、なるべく自分が書く文書に関しては妥協しないようにしようと思っています。今でも、自分自身愕然とするくらい文章力が欠けていたりするのですが、それでもプロとして英語を書くことをシビアに捉える大事さをインターンを獲得する過程で痛感しました。
かけることができる時間をコントロールできる文章力を話し言葉が超えることは決してできません。つまり、自分の発信力の射程距離を決めるものが文章力となります。(これは母国語でも同じですね)
授業だけでなく人とのコミュニケーションでも文章を書く機会が多すぎると思考停止に陥ってしまったりもしますが、たとえくだけた文章を送り合う時でも、それはどのような慣習的な裏付けがあるものなのかなどもう一歩踏み込んで考えたいと思っています。
僕がよくメッセージをする友人の1人はNY生まれNY育ち。略し方やイディオムなども全く聞きなれない言葉が頻発します。分からないたびにとにかくストレートに「これ何言っているの」と聞くようにしています。
あとはHKS(Harvard Kennedy School 公共政策大学院)の友人に時給を払って重要な文章の添削はしてもらったり。もともとNY市の政府機関で働き、圧倒的な文章力を持っている友人。払っている時給は無に等しいです。
英語での思考力と日本語での思考力の質とその限界を知る。インプットとアウトプットのレベルを客観的に評価するべき。
とは言うものの、結局日本語で考える方が深く考えることができますし、読解の速さなどは比べるべくもありません。例えば、本当に難解なことを考えなくてはいけない時、意識的に日本語思考に戻したり、インプットを日本語の記事から行うことが時間対効果が高いことは認めなければいけません。
重要なのは意識的に戻すと言うこと。ある程度の英語力がある場合は、英語に触れている時は英語で物を考えそれをアウトプットしていると思います。つまり、日本語を経由していない状態。その時は、英語のアウトプットとしては早く打ち返すことができますが、思考の深さとしては本来あるべきところに到達できていないこともあったり。(特に自分の思考力にストレッチがかかる話題の場合)
そのような時は、強制的に日本語思考に戻してみて、じっくり(とは言いつつ日本語のじっくりはやはり速い!)と考えてそのあとに英語に戻すという作業をしてみるのも実はアリだったりします。この逃げ道があると知っていると感じるプレッシャーが減り一石二鳥なこともあり。