今年の同級生(卒業年からClass of 2020と呼びます)の中で日本人は12名います。業種的な出身としてはコンサル経験がある人が5名と多めですが、他は銀行、PE、コーポレートファイナンスや商社など比較的多様で、さらに数名を除いたほぼ全員が海外で育ったもしくは働いた経験があります。
セクションは全部で10あり、2つのセクションを除いて後は各セクションに1人ずつ散らばっているため、学期中はそこまで頻繁に会うことはなかった・・・という訳ではなく、意外とこまめに会ったり、一緒に飲んだり、あらためて写真を見返すと結構一緒に過ごしていたことが分かります。さらに、1週間に1度ジャパントレックの打ち合わせのため昼に1時間ほど皆で顔を合わせていたため、それも含めるとなかなかの頻度です。
慣れないケースディスカッション、リクルーティング、カンファレンスやクラブのイベントの企画、そもそも不利な英語力、など気付かぬうちに溜まっていたプレッシャーのガス抜きになっていたのが日本人同級生や家族との関わりだったように思います。たまに全員で集まって飲み会をしたり(久しぶりの日本風飲み会で盛り上がり過ぎた。平日にやるのは危険。)、テニスやゴルフをしたり、少人数で夕飯を食べながら日々の苦労を共有したり、試験対策をしたり(日本語でやると正直はるかに楽です)。
写真を見ながら、いくつかの出来事を思い返してみようと思います。
これは懐かしい!まだ学校が始まる直前の写真です。「寿司パーティーの練習」という謎の名目で集合しました。新鮮な魚の調達方法などを学びつつ、ボストンに到着後1ヶ月たたずして相当日本食が恋しくなっている自分に気付かされた会でした。
こちらも学校が始まる前。GSDに留学している大学時代からの先輩の川島さんとその友人とレッドソックスのゲームを見に行きました。まずはボストンっぽいことをやってみたいと思っていた時期です。
学校が始まった直後にHBSの図書館Baker Libraryの前で撮った写真。なかなか良い構図でお気に入りの写真です。
日本人のHBS教授の竹内先生を囲む会。ゴルフを予定していたのですが、大雨に見舞われ当日中止となりそのまま朝ご飯を一緒に食べることになりました。先生からHBSでのサバイバル術を学ぼうと多くの質問をした記憶があります。
家庭での食事編。というか僕が一方的にご馳走してもらっているだけですが。嶋田家には幾度もお世話になりました。半年ぶりに食べた鮭のみぞれ煮の美味しさが今でも忘れられません。大根おろしって凄い。僕たちが学校で苦戦している中、ソウタくんはすくすくと育っていました。
また川島さん登場。川島家で手巻き寿司の練習をするというなんともノホホンとした企画をやりました。
同じセクションのダイチと奥さんと。Flag Dayと呼ばれるイベントで、教室の後ろに生徒の国籍の旗を飾るとともに日本に関するプレゼンをしました。(せっかくなので浴衣を着て)
一年に一度International Nightというイベントがあります。各国の生徒が有志でその国の料理をふるまうという企画。日本ブースは、寿司を大量に用意したものの一瞬で売り切れるほどの人気でした。南米セクションの料理が美味しかった。
通称奥様会。になぜか参加させてもらいました。あんなにボードゲームで夜遅くまで盛り上がるとは。家族同士での絆も強いです。
寮の共用部を使って幾度か飲み会をしました。大きなリビングのような空間がそれぞれの寮の1階にあるためとても便利です。僕たちの学年だけでなく、上の代と飲んだり、他のHarvard Schoolの人を呼んだり、韓国人との合同パーティーをやったりしました。
日本人建築・不動産飲み。日本人というだけでなく建築という興味も一致し、自然と盛り上がった会でした。
締めくくりは一年の最後にあったジャパントレックの最終日の写真。絶妙なチームワークで9日間を乗り切れたのも、1年間を通して一緒に飲んだり話したりを繰り返してきたからだと思います。